爽やかな逃走

僕らの旅を「青春」なんて名付けて過去にすんな。

2017.05.29

襟足を切られる。

 

僕の後ろで、綺麗な女性が時折、ハサミに髪を引っ掛ける。一瞬、ツンとする痛み。あ、すみません、痛かったですか?と申し訳なさそうに訊く。いえ、大丈夫ですよ。と答える。痛いの嫌いじゃないですし、とは言わなかった。その後、同じ下りをもう2回ほど繰り返す。

 

美容室でシャンプーをされている時ってのは、僕の人生で最も無防備な瞬間だと思う。顔に薄い紙を被せられ、「はい」しか回答方法のない質問にいくつか答える。

 

こめかみに指を押し込まれる感覚で、目を開ける。大人しそうな女性なのに、まぁ、強い。僕は美容院のこういうところが、結構好きだ。男性がやたら繊細なシャンプーをしたり、女性がやたら強めなヘッドスパをしたり、よく喋って切りすぎる人だったり、切るのに夢中で喋らない人だったり。

 

ドライヤーを終えると、女性は、少し癖毛の僕に、前髪だけアイロンをかけてくれた。最初から気づいていたが、どうやら女性は妊婦のようで、そんなにお腹が大きいなら働かなけりゃいいのに、と思う。そうもいかないんだろう。これから産まれるその子のために、彼女も頑張らなければいけないんだ。敬礼。

 

まだ乾き切っていない前髪の水分が蒸発する音を聞いた。アイロンの隙間から水蒸気が上がる。背中が冷や汗で湿った。命が消える音と、少し似ている。